2016年5月19日木曜日

熊本大震災 5月16日までのレポート

北海航路で海を越えます。



日に日にボランティアの数も減る熊本で今もなお、汗まみれドロまみれになってる仲間を想いながら、不調のパソコンを諦め、調子の悪いスマホを手に持ち日本海を前に書いています。
多くの方々からの温かな支援に支えられ熊本大震災の被災地で活動すること出来ました。
お一人お一人にメールなり、お手紙なりでお礼を申し上げたいのですがこのような形でのご挨拶出来ずすいません。厚くお礼申しあげます。

初動の混乱の中、大雨により避難所に土砂災害の恐れがあると言う事で、避難されている方々が更に避難を余技される中で食材や機材を運びだし、避難先で何とか温かい食事を取れたらとの思いで、ずぶ濡れになりながら和歌山のにんにこ隊の、おざざとウッキー私で走り回ったのがつい先日のように思われます。
慌ただしく体育館の軒先で始まった炊き出しも、この一ヵ月で朝昼夜と作り続け6000食を越えました。
その多くは、皆様のように様々な形で支援してくださった方々のおかげです。





とりわけ、初動の立ち上げを行っていた私たちは、流通がまで確保できていない為、足らない食材を探して遠くまで走って買いに行ってきたり、使い捨ての食器をやめる為にスプーンの一つから、プロパンガスや、お肉など買う事が出来のも皆さまのおかげです。
避難所に居た子供たちにもこっそりと風船や色鉛筆と画用紙を買ってあげたりしました。
そうそう、タバコが好きなおじちゃんにもやっぱりタバコを買って来てあげたりしました。





また、地域の方々がこの震災を機に立ち上げた復興支援ボランティア団体の立ち上げの費用のほんの一部ですが、ガソリン代も足らなくなってきたので資金を手渡してあげました。混乱する初動にフットワーク軽く動く事が出来たのも皆さまの支えがあってのコトです。

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以下私のfacebookから転記
住宅の被害は5万軒を越え、全壊家屋は2万3000軒を越えている今回の大震災・・・。
数字だけでは計り知れない、一人一人の歴史や物語り、思い出を育んだ家々が5万軒傷つき失われたわけで・・・。




その悲しみや辛さが今もなお、そこかしこの熊本の片隅に存在し、私は出来るだけ感情を押し殺し、『どうしたら、今より・・・』と言う気持ちに心を委ね、笑うとは違う微笑みを絶やさぬように、一つ一つと向き合う行動に努めました。
私にとってはまるで初夏のような日差しや暖かさが降り注いだと思えば、見たことも無い雨粒の大きさの雨も
降る熊本。。。
日を追う毎に裂けた大地は、瘡蓋のように盛り上がったり、さらに開いたり大地は生きている訳ですが、人もそんな大地と折り合いを付けるかの如し、確かにそこに人々は生きている。
災害とは、あまりにも急な出来事であり、発災後も大地の動きに適応するには時間もかかるし、辛さと恐怖が身を支配している。
ただただ、そこに寄り添い、手助けに成ればとの思いで、丸っこくなってもくもくと、一つまた一つ出したり動かしたり、作ったり・・・。
それが本当に手助けになったかは解らない。
ただただ、それが出来るコトだった。
今もなお、もくもくと、ただただ、もくもくと、明日へ向かっての力に成ればとの思いだけで、ドロドロになっている仲間がいる訳です。
そして今もなお、裂けた大地との折り合いを付けるかのように、被災された方々が居るコトを忘れないようにしたいです。


大地は常に動いている。

2016年5月9日月曜日

熊本大震災5月8日~レポート


災害が起きると言うコト・・・

熊本県内の小中学校の62校学校が再開したと言うニュースが流れていた。
 


暮らしの場が被災している彼らなのですが、
村の危機をほおって置く事が出来ず自ら災害支援のボランティア団体を立ち上げ、
始めての経験に戸惑いながらの、発災からの4週間近い日々。


 
地域の事を知っているからゆえ、
支援しやすいコトとしにくいコトの狭間に日々寝る間も惜しんで対応に追われている。
 
日々地域の対応に追われるがゆえ、
日々のあれやこれやは対応できるのだが、
これから先へ向けての歩み出しが始まりました。

 
地域にあった復興への歩みが一歩ずつ進むお手伝いを、

まずはして行きます。